それから、このギルドの中をオリフィスティアさんに案内してもらった。
一般のハンターが自由に出入りできるのは1階のホールだけで、そこから奥へはギルドのメンバーしか入れないそうだ。
2階はメンバーを招集する為の大きな部屋があったり、それとは別に会議室があったり。
3階は役職を持つ人の居住スペースになっている。
それ以外のメンバーには、この街の中にあるギルドメンバー用の宿泊施設で寝泊まりしているという。
最近はメンバーが増えすぎて部屋数が残りわずかであるとか、増築も検討しているとか。
それで、僕もメンバーになった(させられた?)ので、部屋が与えられる事に。
その施設はギルドからは目と鼻の先で、歩いて3分も掛からない所にあった。
出入り口を開けると、真っ直ぐ廊下があって、左右に各部屋が設置されている。
廊下の突き当たりには階段があり、その階段を上がるとまた同じように廊下があり部屋があり。
3階も同じような構造になっている。
僕が案内されたのは3階の一番奥の部屋。
『3−12』と書いてある。
部屋に入ってみると、すぐの所に数センチほどの小さな段差があった。
「・・・・・・ここの全ての部屋は・・・・・・『ニホン』の部屋と同じ様式だ・・・・・・」
「『ニホン』? ・・・・・・ああ、あの東の方にある小さい島の事?」
「・・・・・・ここで・・・・・・靴を脱ぐ・・・・・・」
ニホン。
この大陸からはるか東にある小さな島国。
離れすぎていて、テレポーターも届かない。
なので現在でもニホンへ行くには船を使わなければならない。
しかし最近は、ニホンの近海に近づくと巨大な海の魔物に襲われたりニホンの軍隊に攻撃されるとかで、定期便が出る事もないし自力でニホンへ向かおうとする人もほとんどいなくなった。
それでもニホンにまつわる伝説は、この大陸にも数多く残っている。
衣食住のほか、独特な文化を持っていて、そういうニホン風な事を『和風』とも呼ぶらしい。
例えば、ニホンの雄獣人は全員『チョンマゲ』という髪型にして、常に片刃剣を腰に装備しているとか。
あとは『キモノ』という丈夫な素材で出来た鎧を着て戦闘に備えているとか。
また『花火』や『神風』という対空用の兵器や魔法の研究・開発が盛んであるとか・・・・・・ニホンの伝説は挙げ出したらキリがないくらいだ。
そしてこの玄関で靴を脱がなければならないというのもニホンから伝わったものだと言われている。
玄関のすぐそばに小さな台所がある。
反対側には扉があって、これまた小さなお風呂場。
シャワーと浴槽の両方が付いていた。
台所を抜けた先に、また小さな部屋があった。
何も置いてない。
「・・・・・・備品は全て・・・その戸の中だ・・・・・・消耗品は・・・今ある分が無くなったら・・・自分で買え・・・・・・」
「うん、わかった。」
「それから・・・・・・お前に仕事だ・・・・・・来い・・・・・・」
そんな訳で連れてこられた、ギルド3階のとある部屋の前。
3階って事は、誰かの部屋って事になるけど。
「・・・・・・お前の今日の仕事は・・・この部屋を掃除することだ・・・・・・」
「掃除?」
「・・・・・・後は・・・この中にいる奴から聞け・・・・・・」
オリフィスティアさんはそれだけ言って、下の階へと降りていった。
掃除なんて、いかにも雑用がやるような仕事だなぁ。
気が進まないけど、とりあえず僕はドアを開けてみた。
すると、目の前に入ってきたのは・・・・・・
・・・・・・まさに異様な光景。
ドアが開くぶんのスペースだけは確保してあるものの、それ以外は床から天井まで堆く積まれた本で埋め尽くされていた。
微妙に人が1人分通れるくらいのスペースがあって、それが部屋の奥まで続いている・・・・・・。
と、とりあえずこの隙間を通って進むしかないのかな。
体を横向きにして、本の山を崩さないように慎重に慎重に進んでいく。
これだけの本に埋まったら、多分自力では脱出できない気がする。
そうして進む事2〜3分くらい。
同じ部屋を移動していたとは思えないくらいの時間をかけて、ようやく細い隙間を抜ける事に成功。
その先にはほんのわずかなスペースがあり、椅子に腰掛けて本を読む獣人がいた。
カーテンは閉め切ってあるのでとても暗い。
机の上には火の灯ったロウソクがあり、この部屋にある光源はそのロウソクのみ。
こんな部屋で本なんか読んでいたら絶対に目が悪くなりそうだ。
獣人は机に組んだ両足を乗せている。
背中を向けて座っているから、どんな顔をしているのか、どんな種族なのかは分からない。
声を掛けようとしたら、部屋の主は部屋の読んでいた本をパタンと閉じた。
そして何も言わずに、椅子から立ち上がって振り返った。
長身で、かなり細身の黒豹人だった。
切れ長の目と、その下にあるクマのせいでかなり眠たそうに見える。
シャープなマズル、腰くらいまである長い髪。
被毛や髪はボサボサで、全く手入れされていないようだ。
しわくちゃなワイシャツとヨレヨレなネクタイ、薄汚れたスラックス。
そしてその上に茶色のシミが付いた白衣を羽織っている。
このシミは多分・・・・・・血だと思う。
姿と服装を見る限り、この人は相当危険な人物だと思われます。
全く表情を変えずに僕の頭の先からつま先までジロジロ見てらっしゃいますが、接触を試みたいと思います・・・・・・
「・・・・・・えっと、こんにちは。」
「・・・・・・」
反応は無し。
でも僕めげない。
「僕はアレンっていいます。この部屋の掃除をするように言われて来ました。」
「・・・・・・ふっ」
鼻で笑われた。
「えと、どうすればいいですか?」
「・・・・・・なぜ君がこの部屋を掃除しなければならないんだい・・・・・・?」
おうふ、逆に質問されてしまいました。
「オリフィスティアさんにここの掃除をしろって言われて・・・・・・それが僕の今日の仕事みたいです。」
「オリフィスか・・・・・・・・・・・・ふっ」
また鼻で笑われた。
オリフィスティアさんの何が面白かったんだろう。
「君はギルドの獣人?」
「そうです。今日からそうなりました。」
「今日から、か・・・・・・・・・・・・ふっ」
この人、鼻で笑う癖でもあるのかな?
「どちらかというと、君には掃除よりも・・・・・・」
「掃除よりも?」
「僕の実験を手伝ってくれた方がありがたいんだけどね・・・・・・・・・・・・ふふっ」
「実験? ・・・・・・でも、掃除しなくていいのかな。オリフィスティアさんに掃除しろって言われたのに・・・・・・」
「オリフィスに何を言われても放っておけばいい・・・・・・・・・・・・ふっ」
それはダメでしょ・・・・・・
オリフィスティアさんサブマスターなんだから・・・・・・
「責任は僕が取るから・・・・・・・・・・・・それとも君はこの本を全部書庫まで運びたいのかな・・・・・・・・・・・・?」
「書庫? 書庫ってどこにあるんですか?」
「このギルドの地下だよ・・・・・・・・・・・・ふっ」
う、うーん・・・・・・
そう言われちゃうと・・・・・・本格的な肉体労働よりは実験の方がいいのかもしれない。
責任は取ってくれるみたいだし、まぁいいか。
「分かりました。実験を手伝います。」
「君ならそう言ってくれると思っていたよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・どちらにしても眠ってもらう事に変わりないけどね・・・・・・・・・・・・ふっ」
「え?」
声が小さくて後半が全然聞き取れなかった。
眠る、とか何とか言ってたような・・・・・・
「それじゃ僕の研究室へ行こうか・・・・・・ちょっと暗くなるけど我慢してくれるかな・・・・・・・・・・・・ふっ」
そう言うと、急に接地している感覚がなくなり、僕は何が起こったのか理解できないまま下に落ちた。
とっさに手を伸ばしてみたが、何の意味も無かった。
しかしすぐに『落ちている』という感覚は無くなった。
どちらかというと、フワフワ浮いているような感じ。
周りが真っ暗なせいで今の自分が逆さまになっているのかも分からないけど。
そういえば、さっき『ちょっと暗くなるけど我慢してくれるかな・・・・・・』って言われたけど・・・・・・
もしかしてあの人が何かしたのかな。
ギルドの人だから、敵とかじゃないはずだよね・・・・・・
怪しい人には間違いなさそうだけど・・・・・・
と、考えていた時だ。
不意に後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、さっきの豹人が逆さまの状態で立っていた・・・・・・というか、ぶらさがっていたというか。
ちょっとしたホラーだ。
「えっと・・・・・・とりあえず聞きたい事が山ほどあるんだけど・・・・・・」
「ここは影の中さ・・・・・・・・・・・・ふっ」
シカト!?
「僕の特殊能力は『シャドウ』・・・・・・僕は全ての影を通して空間を移動する事が出来る・・・・・・
そして僕の影を媒介して、他人をこの『影の世界』に送り込む事も出来る・・・・・・
影の世界は・・・・・・天界や魔界のように、空間の歪みによって僕たちの世界に隣接して存在する世界の1つ・・・・・・
これを今使ったのは・・・・・・移動をするのならこっちの方が楽だからだね・・・・・・・・・・・・君が聞きたかったのはこんな所じゃないのかな・・・・・・・・・・・・ふっ」
・・・・・・全くその通りでございます。
あ、でも。
この説明の中でちょっと気になる事を聞いちゃったな。
「今、僕たちは影の世界にいるんですよね?」
「・・・・・・」
「・・・・・・て事は、空間の歪みを越えてここに来たって事ですよね?」
「・・・・・・ふっ」
「その特殊能力を使って、天界や魔界には行けないんですか?」
「・・・・・・・・・・・・僕も何度もその事を聞かれたよ・・・・・・答えはノーだ・・・・・・・・・
所詮はワームホールのようなものだからね・・・・・・・・・・・・」
「わーむほーる?」
「ある1点から別の離れた1点へと直結する空間領域の事さ・・・・・・」
・・・・・・?
「ちなみに通過可能なワームホールの例は『ds^2=-c^2dt^2+dl^2+(k^2+l^2)(dθ^2+sin^2θdφ^2)』となるんだけど・・・・・・・・・・・・実用化への研究はまだそれほど進んでいないのが現状だよ・・・・・・」
・・・・・・・・・・・・???
「君が理解できるように説明すると・・・・・・入る場所と出る場所は場所は違えど同じ世界って事さ・・・・・・
僕らの住む世界から影の世界に入った場合・・・・・・出口は全て僕らの世界の影になる・・・・・・
もっとも・・・・・・あまり遠い距離だと僕の精神力が持たないけどね・・・・・・・・・・・・ふっ」
・・・・・・ああ、やっと理解できた。
最初からそう説明してくれればいいのに。
「おしゃべりはこれくらいにしようか・・・・・・僕の手を握って・・・・・・」
「え? うん・・・・・・」
逆さまの豹さんの手を握る。
細い指だ。
曲げたら簡単に折れそう。
すると、豹さんの背後に黒い歪みのようなものが現れた。
周り全体が黒いから分かりづらいけど、黒い中により黒い部分があって、そこに豹さんがゆっくりと吸い込まれていく。
そして僕の体も歪みの中に入っていく。
それと同時に、急激に強い重力が体にかかるのを感じた。
思わず尻餅をついた。
「・・・・・・・・・・・・ふっ」
「・・・・・・ここは?」
「僕の研究室さ・・・・・・」
見渡すと、本当にさっきの本だらけの部屋ではなく、怪しげな雰囲気がムンムンする部屋に変わっていた。
部屋のいたる所にはロウソクが灯っている。
この人、ロウソクが好きなのかな・・・・・・
やっぱりカーテンは閉め切られているので、ロウソクだけだとやっぱり暗い。
部屋には何に使うのか分からない怪しげな装置が幾つもあり、何に使うのか分からない妙にカラフルな色をした怪しげな薬品が棚に保管されている。
何の生物だかさっぱり分からない怪しげな標本や、何に使うのか分からない実験器具がズラリと並んでいる。
黒板には何を導き出すのかさっぱり分からない数式や方程式が、また方陣や円陣がビッシリと書かれていた。
まさに未知の空間。
一体なんの研究をする為の部屋なんだろうか。
僕にとっては研究室というより・・・・・・『趣味の悪い博物館』に思える。
「まずは準備からだね・・・・・・」
そう言うと豹さんは棚にあった透明な薬品を2つ手にとり、それぞれを適量、試験管に入れた。
「・・・・・・あの、実験ってどんな実験なんですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
何度目かの無視。
ちょっと慣れてきました。
豹さんは2つの薬品を混ぜ、指で蓋をして軽く振った。
すると薬品は緑色の液体に変化した。
混ぜただけだと透明だったのに、振った瞬間に緑色に変わるなんて手品みたいだ。
「・・・・・・少し、匂いを嗅いでくれるかな・・・・・・」
「あ、はい。」
指の蓋が外される。
試験管に鼻を近付けると、昔どこかで嗅いだような、懐かしい感じのするイイ香りがした。
正直言って、変な臭いなんじゃないかって思ってた。
「イイ匂いですね。何の匂いだろう?」
すると豹さんは小さく微笑みながら。
「ドリームハーブの成分を抽出したものさ・・・・・・」
「ドリームハーブ・・・・・・?」
はて、どこかで聞いたことがあるような・・・・・・・・・・・
・・・・・・あ。
思い出した。
僕がまだ孤児院にいた時の事だ。
どうしても眠れない夜があって、その時に院長先生が飲ませてくれたハーブティー。
それに使われているハーブがドリームハーブだったような・・・・・・
「気付いたようだね・・・・・・君の予想通りこの液体は僕特製の睡眠薬でね・・・・・・
液体を口に入れたら二度と目が覚めなくなる劇薬さ・・・・・・
匂いだけなら死にはしないから安心しなよ・・・・・・・・・・・・ふっ」
ちょ、ちょっと!
なんてものを嗅がせてるんだあんた!
「実験って・・・・・・もしかして・・・・・・」
「君が目を覚ましてからが本番さ・・・・・・どうしても被験者が欲しかったんだけど・・・・・・
ギルドの連中は僕の実験には付き合ってくれないんだ・・・・・・」
・・・・・・もう、意識が朦朧としてきた。
どんだけ効き目強いんだよこれ・・・・・・
立ってられなくなって、前に倒れそうになったけど豹さんに受け止められる。
「絶対に・・・・・・寝・・・・・・・・・・・・zzz」
「・・・・・・・・・・・・ふふっ」
「マスター、ちょっと・・・・・・」
書庫で魔法に関する書物を読んでいた時だった。
司書のセレスが困ったような顔で俺に近付いてきた。
「どうかしたのか?」
「サイザーさんがまだ本を返しにきてくれないんですよぉ・・・・・・」
「・・・・・・だろうな。」
サイザーとは、このギルドで随一の頭脳を持つメンバーである。
天才的な頭脳を持っていて、その知識には何度も助けられているのだが・・・・・・
クセが強すぎて、俺の手にも負えないくらいの問題児だ。
ギルド2階にもサイザーの実験室があり、俺達には全く理解できない実験をしている。
その実験台に俺達を使おうとすることも多い。
サイザーの集中力は計り知れず、一旦集中すると食事も睡眠もとらずに何日も没頭し続ける。
ここ数週間は書庫の本を自室に持ち去り、ずっとそのままの状態らしい。
だから書庫の棚はスカスカだ。
「もう、分かってるなら何とかしてくださいよぅ! 色んな人から苦情が来て、困りますー・・・・・・」
そうしたいのは山々なんだが・・・・・・
サイザーの奴、交換条件として俺に実験台になれとか持ちかけてくるからなぁ・・・・・・
妙な装置に繋がれて、かなり酷い目に遭ったとかいう報告を何度もされている俺としては、なかなか首を縦に振るのは・・・・・・
「今日だって新入りのコが本の返却を手伝ってくれてるって話だったのに、全然来る気配がないんですよぅ。
酷いですよねぇ・・・・・・」
「新入りのコ・・・・・・もしかしてアレンの事か?」
「え? えっと・・・・・・オリフィスさんから聞いたので詳しくは分かりませんけどぉ・・・・・・
今日新しく入ったコを向かわせたって言ってましたぁ。」
オリフィスが?
・・・・・・あぁ、なるほどな。
ともかく、このギルドで新入りと呼べるのはアレンくらいだ。
「少し様子を見てくる。」
「あっ、マスター!」
嫌な予感しかしない。
俺はサイザーの自室へと走る。
「サイザー! アレン!」
ドアを開け、呼ぶ。
天井近くまで積まれた本の山。
どうやったらこんな事になるんだ。
呼び掛けに対する反応はなし。
ここに居ないとなれば・・・・・・考えられるのは実験室しかない。
その時、たまたまメンバーの馬人が通りかかった。
「おい、ディスト!」
「なんスか?」
「今すぐこの部屋の本を書庫へと運んでくれ。」
「この部屋の・・・・・・・・・・・・うえぇ!? なんじゃこれ!」
「頼んだぞ。お前ならやってくれると信じている。」
「ちょ、マスターーーー!!」
ディストに本の撤去を任せ、俺は実験室へ走る。
何もされていなければいいんだが・・・・・・