有り得ないほど忙しいか、有り得ないほど暇か。
もしどちらが良いかと聞かれれば、俺は間違いなく前者を選びたい。
忙しい日というのは、客が常に満タンの状態である日。慌ただしく店内を駆け抜ける。息つく暇もない。
暇な日というのは、客が誰1人いない状態である日。5分が果てしなく長く感じる。息つく暇しかない。
今日は常に休憩時間のようなものだった。つまり後者の日だった。
今日は、というのは間違いかもしれない。正確には今日も、というのが正しい。
やるべきことはやれる時にやる。仕事を効率的にこなす為、俺がいつも心掛けている事だ。
しかし今日はそれが仇となった。やることを早い段階で済ませてしまった為、後半は本当に何もする事がなくなってしまったのである。
間違ってはいない・・・とは思うのだが、これも周りが見えていないという事になるのか。
「やー、それにしても暇っすね。」
そんな事を考えていると、アッシュが話し掛けてきた。
こいつも退屈なのがかなり苦手な奴だったな。集中力の欠片もないようなヤツだから。
「暇だな。」
「この会話、何回くらいしましたっけ。」
「これで12回目だな。」
途中から数えてた。
余りにも暇だったから。
「でもあと14分っすね・・・・・・あ、13分になりましたよ。」
自分の腕時計を見て、上がりの時間を逆算するアッシュ。
ほらほら、と見せられた時計には、デジタルな数字が表示されている。22:47。
俺も自分の腕時計を見る。針が示す時間は22:44。
「・・・・・・アッシュ。その時計少しずれてるぞ。」
「えっ、マジッすか?」
俺の時計を見せた。
短針は10と11の間、長針は秒針が12を跨げばちょうど9の数字を指す。
「高そうな時計っすね。」
「そうでもないぞ。高校卒業してすぐ買ったヤツだし。」
「・・・・・・ちなみにいかほどで?」
「45万だが。」
「・・・・・・・・・・・・」
アッシュが口を開けて固まった。
「45万は安い方じゃないのか・・・?」
「・・・・・・俺にとっては超高級っすよ。」
「そうだったのか・・・・・・」
決して安いわけじゃなかったんだな。
大した額じゃなかったから一括で買ったんだが、そんな事を言ったらまた固まられそうだから言わないでおくが。
チリンチリン。
店のドアが開いた。外の冷たい空気が店内に入る。
客かと思って振り向く。しかしそこにあったのはよく見知った顔。
「おはようございます。 ・・・・・・って、どうしたんですか。元気ないですね。」
深夜によく入っている、アッシュの1コ下の後輩。だから俺の2コ下。
名前は山本勇吹(やまもと いぶき)。真面目で明るい人間の好青年。自他共に認めるゲーマー。
バイト代の半分以上がゲームに費やされているという。
家庭用ゲーム、携帯ゲーム、オンラインゲーム、アーケードゲームなど様々な分野に手を出していて、家にいる間は常にゲームをしているという廃人っぷり。
普段は本当に真面目で普通にしているが、少しゲームなどの話になると物凄い勢いで喰いついてくるのである。
この本性を初めて目の当たりにしたのは・・・・・・だいぶ前になるが、俺とレイジ、アッシュ、勇吹の4人で遊びに出かけていた時だった。
プリクラでも撮るか、という話になり、入ったゲームセンターの中でそれは起こった。
店内に入ってからの勇吹の様子がおかしい。歩きながら色んな方向をキョロキョロ。妙にソワソワしていたのだ。
どうかしたのかと尋ねてみる。
返ってきた言葉は「ちょっとゲームで遊んでもいいですか?」だった。
少しくらいなら、と返すと、物凄く嬉しそうな顔をして走り去っていった。
戻ってきた勇吹が握りしめていたのは大量の100円硬貨。
目を輝かせて「行ってきます!」と言う。そしてまたどこかへ行ってしまう。
「ああ、あいつめっちゃゲーム好きなんすよ。」とアッシュ。
走り去った方向へ進んでいくと、勇吹を発見。
銃を構えて、画面に向かって乱射しまくっている。
表情は真剣そのもの。声を掛けるのも躊躇われるほど集中していた。
ほぼダメージを受けずに次々とステージを攻略していくの見ると、かなりやり慣れているようだ。
結局最後までノーダメージでクリアしたようだ。おおー、と3人揃って感嘆の声。
そんな俺達をよそに、次のゲームへと向かう勇吹。俺達もそれについていく。
次に勇吹が選んだのはカーレースなゲーム。
ハンドルを握った瞬間、また表情が一気にゲームモードに入った。
どうやらオンライン対戦モードのようだ。
クネクネした山道のような所を、猛スピードで駆け抜ける。
凄まじいハンドル捌き。現実だったら即逮捕されているだろう。
いや、実際にこんな運転はしないか。さすがにそれくらいの区別は・・・・・・な。
ぶっちぎりで相手に圧勝した勇吹。清々しい勝者の顔だった。
その後も勇吹のヒートアップは止まらなかった。
あっちへ行ったりこっちへ行ったり。
プリクラを撮るためだけに入ったのに、いつしか2時間が経っていた。
俺は勇吹がやっているゲームを見ているだけでも十分楽しかった。上手いからずっと見ていられる。
というか俺は普段ゲームセンターなんて滅多に入らないから、その雰囲気を楽しんでいたというのが近いかもしれない。
レイジとアッシュもちょこちょこゲームしていた。勇吹の上手さにはどれも程遠かった。
勇吹が最後にやっていたのはUFOキャッチャー。
アニメのキャラクターの形をした、でかいクッションを狙っていた。
というか、既に2つゲットしていた。何個取れば気が済むんだ。
そうしてまた1つ落とす。3個目である。
すると勇吹はでかいクッションを俺達に1個ずつ手渡す。
なんでも、長い時間付き合ってもらったお詫びとお礼だとか。
別にそんなに気を遣わなくても、と思ったがせっかくの好意なので受け取っておいた。
そのクッションは今も部屋に置いてある。俺とレイジの分の2つ。
その後は普通のテンションでプリクラを撮り、カラオケに行って、帰った。
なんだかんだで楽しかったな。暇な日にまた遊びに行くのも良いかもしれない。
「見ての通り、めっちゃ暇だったんだよ。」
「分かります、それ。する事ないと逆にツラいんですよね」
「これからお前も地獄を味わうから覚悟しとけよ。暇すぎてすっっっげぇキツイからな。」
「ははは、店長が聞いたら怒りますよーw」
ゲームの話題にさえならなければ、勇吹はこの通り、到って普通だ。
何が勇吹をゲームに駆り立たせるのだろう。
スタッフルームに入っていく勇吹を見送る。
が、勇吹はすぐに戻ってきた。どうした勇吹。
「あの、なんか店長の様子がおかしいんですけど。」
「「店長が?」」
俺とアッシュは同時に言った。
様子がおかしいとは一体何事か。
色々と考えながらもスタッフルームへ入る。
入った瞬間に感じ取れる異様な雰囲気。
考えていた事が全て何処かへ吹き飛んだ。
「・・・・・・・・・・・・はぁぁぁぁ〜〜〜〜ん・・・・・・」
店長が椅子に座って灰になっている。
真っ白に燃え尽きてしまっている。
「・・・・・・あ、カイルア君アッシュ君。お疲れ・・・・・・」
「「・・・・・・お疲れっす・・・・・・」」
声に覇気が無さすぎる。
いつもだったら「カイルア君アッシュ君お疲れ〜♪」ってくらいのテンションのはず。プラス笑顔のオプション付きで。
この落ち込みようは一体なんなんだ。
アッシュも同じく店長の異変に気付いていたようだ。いや、これは気付かない方がどうかしている。それくらいのレベル。
「店長、どうしたんでしょうね?」
「エリアマネージャーに大目玉喰らったとかか・・・・・・先輩はどう思います?」
「・・・・・・この落ち込み方は異常だ。もっと深刻な事じゃないか?」
「・・・・・・聞こえてるよ、3人とも・・・・・・」
小声で話していたつもりだったが、聞こえていたようだ。
「確かにあの人ちょっと怖いけどさ・・・・・・今回のは結構マジなヤツなのよ・・・・・・」
それは店長の様子を見れば十分すぎるくらい分かる。
「・・・・・・マジなヤツ、ですか?」
「もったいぶらないで教えてくださいよ店長!」
「実は・・・・・・・・・・・・」
「来月の頭に閉店、か。」
アッシュと2人並んで歩く帰り道、アッシュがポツリと呟く。
店長から告げられた、突然の来月頭に潰れます宣言。
冗談かと思ったが、いくらあの明るい店長でもこんな洒落にならない冗談は言わないだろう。
というかあの落ち込み方からして冗談なはずがない、マジだった。
「いくらなんでも急すぎますよね。そんなに売上落ちてたんすね。」
店長の話では、近くに新しい同系統の店が出来て、客のほとんどがそっちに流れてしまったという事だった。
確かに最近はかなり暇だった。その原因がそんなところにあったとは知らなかった。
しかしもう少し長い目で様子を見る事は出来なかったのだろうか。来月の頭といったら2週間くらいしかない。
「ああ見えてかなりのお人好しだからな、店長は。ギリギリになるくらいまで切り詰めてたんじゃないのか。」
「・・・・・・どうにか出来ないんすかね?」
「2週間じゃ厳しいだろうな。その間に客足が戻ればあるいは、だが・・・・・・」
足を止める。新しく出来たファミレスの前。
夜の11時過ぎとは思えない客の入り方。うちの店の平日の忙しい時間帯くらいの混み方をしている。
「・・・・・・これじゃあ、な。」
「・・・・・・ですよねぇ。」
しばらくの間はこの状態が続くだろう。
客足が少なくなり始める頃には、うちの店は・・・・・・
「どうします先輩。新しいバイト探します?」
アッシュが言う。相変わらず切り替えが早い。
「・・・・・・どうだろうな。特にアテは無い。」
「じゃあコンビニで求人誌でも貰ってきましょうよ。ちょうど俺コンビニにも寄っていきたかったんで。」
「・・・・・・そうだな、そうするか。」
やるべき事はやれる時にやる、だな。
そんな流れでやってきたコンビニ。
ディジーズ大の近くにある、穂琥斗が店長やってるという例のコンビニだ。
穂琥斗いるかな、と少し期待していたが、レジに立っていたのは若い人間の雄だった。
もしかしたら裏にいるのかもしれないが。
暖房の効いた暖かい店内で求人誌を読む。昨日発行されたばかりの新しいものだ。
この近辺で募集している所を先に探していく。
「先輩先輩。あの新しいファミレスのバイト募集もありましたよ。」
アッシュが指し示した通り、外観の写真付きで大きく掲載されていた。
『新規オープン、スタッフ急募!』・・・か。
営業時間のほぼ全ての時間帯で募集している。
この時間であれだけ人が入るなら、忙しい時間帯がどんな状態になるのかは想像つくな。
「ケンちゃああああん! オッスオッス!」
突如、店の入店音とともに響いた声。
俺とアッシュだけでなく、他の客も店員も、その場にいた全員が声の主に注目した。
小さな犬人が頭の上で大きく手を振っている。
まさか。というか、これはもう確実に。
「・・・・・・穂琥斗・・・・・・」
ケンちゃんは多分、今レジにいる店員の事だと思われる。
ケンちゃん(仮)は、両手に釣りとレシートを持ったまま不自然に固まっている。
3秒ほど経って、ようやく我に返った。
「・・・・・・560円のお返しになります。」
その言葉でようやく客も正気に戻ったようだ。
購入したものを持って、穂琥斗を怪奇なものを見るような目で見ながら店を出ていった。
ありがとうございましたー、というケンちゃんの声が静かに響く。店内のBGMも止まってしまった。
白けた空気とは多分この事を言うのだろう。また1つ勉強になった。
そんな客の、そして店の様子や雰囲気を全く気にした様子もなく、穂琥斗は缶コーヒーをレジに持っていく。
「ケンちゃんお疲れちゃん! 何か変わった事なかった?」
「いえ、特には。いつも通りです。」
淡々とコーヒーのバーコードをスキャンするケンちゃん。てか、やっぱりこの店員がケンちゃんだった。
俺からしたら穂琥斗=変わった事にしか思えない。
ケンちゃんは敢えてそれを言わないでいるのか、それとも普段から穂琥斗がこんな感じでいるからいつも通りだと言ったのか。
「そっかそっか。でもそれがイチバンだよねー。 ・・・・・・あ、そうそう! 外のゴミ箱がもうすぐ満タンになりそうだから、後で確認しといてね。
それから来月はどうする? 今月と同じ感じでイイのかな。」
「あー・・・・・・っと、ちょっと変更はありますね。」
「ん、おっけおっけー。じゃ帰りまでにシフト表にメモっといて。」
穂琥斗はそう言うと、店の奥へ去っていった。
・・・・・・意外だった、色々。
ずっと家にいる、というイメージが強かっただけに。
しかしこうして店員に指示をしている時の真面目な表情とか、これからシフトを考えるであろう穂琥斗の事を考えると、ああ、穂琥斗って本当に店長だったんだな、と思った。
「・・・・・・なんだったんすかね、さっきのちびっ子。」
アッシュが言う。
お前からしたらほとんどがちびっ子だけどな。身長って意味で。
穂琥斗の場合は精神的にも、かもしれないが。
「ここの店長だよ。」
「あんな小さいのが店長ってマジっすか? 小学生じゃないっすか。」
ちびっ子とか小さいを連呼し、挙句に小学生呼ばわりするアッシュ。
一応俺らより年上だし、それは失礼じゃなかろうか。
「俺も最初はそう思ってたけど、あいつ本当は24歳だからな?」
「そうだよ、俺24なんだから。」
背後から声がした。
振り返ると、店の制服に着替えた穂琥斗がそこにはいた。
一体いつからいたのか。気が付かなかった。
「やほ、カイルアくん。」
スマイル。ピースサイン付き。
さっきまでは本当に店長なんだ、と思ってたけど。この制服姿を見ると、やっぱり考え直したくなる。
どう見ても職業体験してる学生です、って感じだ。少なくとも店長ではない。見た目が。
「おどかすなよ穂琥斗。」
「それで驚いてんの? つまんないなー。」
「・・・・・・・・・」
「てかカイルアくん! そっちのでかいコは誰よ!? はっ、まさか俺に隠れて浮気!?」
片手でアッシュを指差し、もう片方の手で口元を押さえてそんな事を言っている。
アホらしくて否定する気にもなれないので放っておくとして。
「・・・・・・高校の後輩のアッシュだ。バイト先が同じで、帰りが同じ方向なだけだ。」
「ひどいっ。私とは遊びだったのねっ。」
泣き真似している穂琥斗。
埒が明かないので、無視を通した方が良さそうだ。
「アッシュ。こいつ最近ウチの隣に越してきた穂琥斗・・・・・・って、どうした?」
なぜそんなに悲しそうな顔をする。
「・・・・・・あ、いやその。浮気って事は先輩。」
「お前、本気にしたのか・・・・・・?」
「だって・・・・・・」
どいつもこいつも。頭痛くなりそうだ。
「おい穂琥斗。本気にしてるヤツがいるから下らない茶番はやめろ。」
「え、マジ? ごめんちゃい。」
「・・・・・・って訳で、俺とカイルアくんはそういう関係なんて一切ないワケよ!」
笑い飛ばしながらアッシュに説明する。途中で俺が訂正を挟みつつ。
それを聞いてようやくアッシュは納得したようだった。というか、お前は何が不満だったんだ。
「でもさー、俺も一瞬疑っちゃったよ。カイルアくんに隠れたコレがいるんじゃないかって・・・」
小指と親指を交互に立てる穂琥斗。
そしてどこか嬉しそうなアッシュ。お前さっきからどうしたんだ。
悲しそうにしたり喜んだり・・・・・・
「ま、でもカイルアくんにはレイジきゅんがいるもんねー。」
「・・・・・・当たり前だ。」
「否定しないとか・・・!」
リア充爆発しろ! とわめく穂琥斗。
アッシュはまた固まっている。今度は何なんだ。
「せ、先輩ってレイジ先輩と付き合ってたんですか・・・・・・?」
「ああ。 ・・・・・・言った事、なかったか?」
「聞いた事ないっすよ・・・・・・」
言い忘れていたらしい。
いや、聞かれた事もなかったしな・・・・・・
せいぜい好きな人はいるのかと聞かれて、いると答えた程度だった。
もしかしてアッシュ、レイジの事を・・・・・・!?
「あれ、アッシュくん固まってんね。どうしちゃったの?」
アッシュの目の前で手を振る穂琥斗。アッシュの反応は無い。
俺は分からん、とだけ答えて、先程の疑惑を懸念した。
「そんな事よりカイルアくん、なんで求人誌なんて持ってんの?」
アッシュをいじっていた穂琥斗が俺に言う。
アッシュのリアクションが薄かったので飽きたらしい。
というか、お前は仕事をしなくてもいいのか。
「御曹司がバイトって・・・何それw」
笑いながら言う。
何が笑えるのか知らないが、とにかく失礼な奴だ。
高校を卒業してから、あのファミレスでずっとバイトをしていたというのに。
穂琥斗の情報は若干遅れてるからな・・・・・・
多分『スカイズの後継(仮)』止まりなんだろう。
あの後いろいろとあったんだが。
とにかく穂琥斗が変なイメージを俺に持っているのは間違いなさそうだ。
「実は今まで働いてたバイト先が来月の頭に潰れるらしく―――」
「あぁー、知ってる知ってる! 2丁目の交差点にあるトコじゃない?!」
「そうだけど・・・・・・」
・・・・・・スタッフの俺ですら今日知ったことをなぜお前が知っている。
そう尋ねると、穂琥斗曰く『色々な所から情報を集めているから』だそうだ。
その範囲は同じ系列のライバル店から個人経営のラーメン屋まで、かなり広い規模らしい。お前はスパイか?
「で、新しいバイトを探してるって事かに?」
「そんなところだ。」
「・・・・・・ん! そんだったらウチのコンビニとかどうよ! ・・・・・・ほら、ココ!」
俺の手から求人誌を奪い取り、ページをめくる。
そして指し示すのは、他の店や企業の半分くらいの小さなスペース。
小さすぎて見落としていた。
「ちょうど今募集してるトコだったんだよね〜。この時期になると辞めちゃうコも多くてさ〜。」
なるほど確かに。
コンビニでは高校生や大学生が働いている事も少なくない。
学生なら卒業とかで辞める場合もあるわけだな。
「つーワケで、どう? もしカイルアくんさえ良ければ今からでも面接してあげちゃうけど。
色々ハナシ聞いてから返事してくれても全然構わないし〜・・・・・・」
・・・・・・コンビニか。
まぁ他に良さそうなところもなかったし・・・・・・
店長が穂琥斗ってのが少し不安ではあるけど・・・・・・
とりあえず説明だけ聞かせてもらって、そこで判断してもいいだろう。
穂琥斗もそれでいいって言ってる事だしな。
「分かった、それでいい。 アッシュは・・・・・・」
チラ、とアッシュの方を見ると、相変わらず固まったままだった。
全く手のかかる奴だ。
俺はその固そうな額にデコピンを一発かましてやった。
予想以上にクリーンヒットした。
バチンという音が店内に響く。
そこでようやくアッシュが我に返った。
痛そうな素振りは微塵も感じられない。
本当に頑丈な奴だ。痛覚が鈍化してるんじゃないのか。
「あ、先輩・・・・・・」
「ボーっとするなよ。ほら行くぞ。」
「行くぞって、もう帰るんですか? じゃ、じゃあその前に肉まんとあんまんを2コずつ買うんでちょっと待ってください!」
「・・・・・・ここのバイトの面接だ。聞いてたのか?」
「あ、あ、でもおでんも美味しそう・・・・・・よかったら先輩も食べますか? ダイコンとたまごどっちが好きですか?!」
「どっちでもいいから人の話を聞け。最初から説明するとだな・・・・・・」
「アハハハw 俺のオススメはつくねとはんぺんとしらたきだよ〜w」
「えーでもしらたき1コしかないですよ。はんぺんに到っては1コもないじゃないですか。」
「お前ら人の話を・・・・・・」
「あー、ほんとだ! ちょっとケンちゃん、しらたきさんがぼっちだよ! はんぺんは家出!?」
「在庫が無かったんですよ。しらたきもはんぺんも・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
猛烈に家に帰りたくなった。
バイト後の全ての出来事を無かった事にして、レイジを抱き枕にして寝たい。
俺はコンビニなんて寄らずに、真っ直ぐ家に帰った。
そう思えば、こんな馬鹿馬鹿しさや唖然とした気持ちも薄れるはずだ。
レイジの少し冷めたくらいの反応が恋しい、そんな気分だ・・・・・・
裏のスタッフルーム。小ぢんまりとした部屋。
穂琥斗が引っ張り出してきた椅子に、俺とアッシュが並んで座る。
穂琥斗は俺達と向かい合うように座っている。
アッシュの巨体と横に並ぶにはこの部屋は狭すぎるが仕方が無い。
スタッフのロッカーやその他色々置いてあるので、部屋自体はそこまで狭くないんだろうが。
そしてこれもどこからか引っ張ってきた小さなテーブル。
乗っているのは、形式的な事だからと言いながら穂琥斗に渡された履歴書。先程記入事項を書き終え、提出した。
それともう1つ。2人分のおでんの容器。
あの後、アッシュと穂琥斗は3分ほどおでんの什器と睨み合い、ようやく獲物を獲得した。
その結果が、2つの容器という訳である。
バイトの面接を何か食いながらするなんて、こんなにフリーダムで良いのかと思わざるを得ない。
穂琥斗は口をモゴモゴとしながら履歴書にサッと目を通し、すぐに引き出しにしまった。
「んじゃとりあえず時間帯と業務内容について説明しちゃおうかにゃ〜」
「いやちょっと待て。」
2人分の履歴書を読むのに10秒もかかっていない。そんなんでいいのか?
書いていた時間の方が圧倒的に長かったぞ。
「そんなに適当で大丈夫なのか?」
「だってねぇ。俺的にはもうカイルアくんもアッシュくんも採用する気満々だし?」
そんなに人手不足は深刻なのか・・・
まぁそうでなければバイトの募集なんてしていないか。
「とりあえずカンタンに説明するからよく聞いとくように!
まず時間帯について。カイルアくんとアッシュくんは学生さんだから・・・17時ないし21時、または21時ないし翌1時が入りやすいのかな。
もし希望があればそのまま5時くらいまでやってくれても構わないよ。
コンビニだから業務内容は当然だけど接客販売になるね。レジやったり商品補充したり。時間帯によってやる事は変わってくるけど、基本はそんな感じ。
ここまでで何か質問は?」
「・・・・・・いや、特には。アッシュは?」
「あー、大丈夫っす。」
大根を頬張りながらアッシュが言う。
・・・・・・質問という訳じゃないが、真面目に説明する穂琥斗の普段とのギャップが激しすぎてかなり違和感があるとは思った。
口頭で説明しつつ、メモ用紙にペンを走らせて内容を簡単にまとめている。
走り書きだが、それでも割と綺麗な字を書く。字が汚いというイメージだっただけに、意外だった。
その後も説明は続いた。時給のことや、その他の細かい事など色々。
穂琥斗の説明を聞いた限りでは、コンビニの業務というのもそんなに悪くないと思った。
アッシュも同じことを思っていたようなので、アッシュと一緒にここでバイトをする事に決めた。
深夜の方が時給が良いので平日の深夜を希望しておいた。アッシュも俺と同じく深夜を希望したようだ。
穂琥斗曰く、どちらかといえば深夜よりも夕方の方に入って欲しかったらしいが、夕方は応募が多いからいいや、との事。
説明が終わってから、少しの間どうでもいい話をしていた。
本当はすぐ帰るつもりだったが妙に話が盛り上がったせいで、日付が変わってしまった。現在の時刻は深夜1時。
ケンちゃんが上がりの時間になり、スタッフルームに戻ってきた事でようやく俺達はそれに気が付いたのである。
ここから朝の5時まで、穂琥斗が1人で店に残るということなので、ちょうどいいタイミングだ。
仕事の邪魔をするのは良くないので、俺とアッシュはようやく家に帰る事にする。今更こんな事を思うのも何なのだが。
初出勤日の確認をし、先程言った通りアッシュが肉まんとあんまんを購入したあと、穂琥斗に見送られながら店を出た。
それにしても、今日は穂琥斗へのイメージがだいぶ変わった日になった。
ただのチャランポランだと思っていたが(失礼
しかしそんなことより、気になるのはアッシュの方だ。
もしアッシュが本当にレイジに好意を持っているとすれば、それはかなりややこしい事の気がする。
それで俺とアッシュの今の関係がどうこうなるって事は無いと思いたい・・・・・・が。
肉まんにかぶりつくアッシュを見ていたら、不意に目が合った。
「・・・・・・どうかしたんですか、先輩?」
「いや・・・・・・よく食べるなと思っただけだ。」
さっきコンビニでおでんを食べていたのに、と続ける。
・・・いつから俺はこんなに誤魔化したり嘘をつくのが上手くなったんだろうか。
「やっぱり、少し食べすぎっすかね。」
きっと俺の数倍以上は食べているに違いない。
でなければこんな巨体にはならないだろう。
種族の違いはあっても、痩せている竜人もいるし。
「そうかもしれないな。だが・・・・・・」
「だが・・・・・・?」
「アッシュはそれでいいと思うぞ。小食なアッシュなんて想像出来ないしな。」
「・・・・・・なんか複雑っすね、それ。 先輩がそう言うなら、このままでいきますけど。」
「それなら、俺が痩せた方がいいと言ったらその通りにするのか?」
アッシュは肉まんの欠片を口に押し込んだ。
そして少し考え、こう言った。
「たぶん・・・・・・・・・・・・ん、絶対その通りにします。だって先輩は・・・・・・」
絶対、か。
ずいぶん信用というか、信頼されているみたいだな。
・・・・・・それで、俺がなんだって?
「先輩はいつも冷静で観察力があって、特に他の人の事をよく見てると思います。外見よりも、むしろ中身をちゃんと見てます。
だからいつも色んな事の本質を見抜いて、的確なアドバイスをくれるんです。俺はこれまで、先輩のアドバイスに何度も助けられてるんですよ。」
・・・・・・面と向かってそんな事を言われたのは初めてだ。
レイジからはよく世話焼きだとかお節介だとか言われる事はあるが、こんな風に言われた事はない。
少し照れくさいような、そんな気分だ。
「・・・・・・あの、それで」
アッシュが急に口籠る。
俺は何も言わずに次の言葉を待つ。
「・・・カイルア先輩が付き合ってるのって、レイジ先輩だったんですね・・・・・・」
「・・・・・・ああ、そうだ。」
「じゃあ高校の時からずっと・・・」
「正確には中学から、だがな。」
「そう、ですか・・・・・・全然気が付きませんでした。」
・・・・・・隠していたという事はない。
レイジとそういう関係になったとは言え、普段の生活にそこまで変化はなかった。
付き合う前からずっと一緒に行動していたし、ただその時間が長くなった程度だったし・・・・・・
俺がそう感じるくらいだから、他の人の目から見たら何も変わった所はなかったんじゃないかと思う。
ましてアッシュと出会ったのは高校の時だ。付き合う前も後も無い。
「・・・・・・今こんなことを言われても迷惑かもしれませんけど・・・・・・
俺、カイルア先輩の事が好きだったんですよ。先輩を初めて見た時から、ずっと。」
「・・・・・・・・・・・・・え?」
俺はぴたりと足を止めた。一瞬、自分の耳を疑った。
・・・・・・・・・・・・レイジじゃなくて、俺?
「高校の西棟3階の廊下の角で、先輩と出会い頭にぶつかりました。それが先輩と初めて会った時です。あの時の事は今でも忘れられないです。」
・・・そんな事あったか? よく場所まで憶えてるな・・・・・・
俺は通っていたジムで見かけたのが初めてだと思っていた。
トイレの洗面台にいたところにアッシュが入ってきて、どこかで見た事ある顔だと思ったのが最初。
そこで高校でアッシュを見て、ああこいつだ、って感じだ。
それから、ジムで会ったら一緒にトレーニングしたり、会話したりする事が増えていった気がする。
「初めて先輩に会った時から、なんだか胸が高鳴るような、そんな気がして・・・・・・
校舎内で偶然会ったり、ジムとかで先輩に会えるだけですごく嬉しくてドキドキして・・・・・・いつしか、自分でも先輩が好きなんだって気が付きました。
今だってそうです。こうして先輩と一緒にバイト出来たり一緒に帰れたりするのがいつも嬉しくて仕方ないんです。
レイジ先輩と付き合ってるって聞いた時は複雑でしたけど・・・・・・」
それは・・・・・・そうかもしれない。
レイジとアッシュも普通に仲の良い先輩と後輩って関係だからな。
もし俺が同じ立場・・・・・・自分の好きな人と自分と仲の良い誰かが付き合っているとなったら・・・・・・
「それでも俺は先輩が好きです。これから先もずっとそれは変わらないと思います。
だから、って言うのもアレですけど・・・・・・これからも先輩の事を好きでいてもいいですか・・・・・・?」
俺は呆然とアッシュを見つめた。
いつものふざけた様子は微塵も無く、到って真面目な表情でそう言うアッシュ。
俺はというと、なんとか冷静さを保とうと必死になっていた。
表情にこそ出さないが、内心は相当ドギマギしている。
だからなのか、なにか言葉を返そうとするとは思うもののうまく言葉が見つからない。組み立てられない。
面と向かって好きだと言われるなんてレイジ以来の事だ。
人伝や手紙ならそれなりにあるが、実際に直接言われるのは・・・・・・
・・・こんなにうろたえるなんて俺らしくない。もっと堂々としろ、俺。
「アッシュがそれでいいなら、俺は・・・・・・構わない、と言うか・・・
今の関係がこのまま変わらないなら・・・・・・それでいい。」
やっとの事で捻りだしたこの言葉。我ながら情けないと心から思う。
途中から変な気分になって、アッシュから目を逸らしながら俺は言った。
大切な後輩っていうのは嘘じゃない。本当にそう思う。
だからアッシュとは今まで通り一緒にバイトしたり、最近は少なくなったけどジムで体を動かしたりするような仲でありたい。
たとえアッシュが俺に特別な感情を抱いていると知っても。
本当はそういう事を伝えたかったんだが、ほとんど冷静さを保てなかった俺。
ちゃんと本心が伝わったのかが不安で仕方がない。
「・・・・・・はぁ、結局何が言いたいのか全然分からないな。すまん。」
「そ、そんな事ないですよ。すごく嬉しいです。
いつもそうやって真剣に考えてくれる所とかも好きですから。」
わかったから、もうやたら好き好き言うのやめてくれ。
言われ慣れてないんだから。
・・・・・・俺もアッシュの事は好きだ。
しかしその好きは後輩としての好きであって、付き合うだとかそういう関係に成り得る好きではない。
そもそも俺にはレイジがいる。
アッシュを受け入れるわけにはいかないのだ。
「でも先輩。俺、絶対に諦めませんからね。」
「・・・・・・あんまり期待しないでくれよ。」
胸を張ってアッシュが言う。
俺はそう言い返すしか出来なかった。
アッシュと別れ、自宅へ到着。
バイトが終わってからずいぶん時間が経ってしまった。
時刻はもうすぐ2時になるが、部屋の電気はまだ点いている。
レイジ、まだ起きてるのか。
部屋に入ると、コタツから頭だけ出して横になっているレイジがまず目に飛び込んできた。
顔はこっちを向いている。寝ているようだ。
俺は靴を適当に脱いで、レイジを起こしに向かう。
「レイジ。そんな所で寝てると風邪引くぞ。」
体を揺すって声をかけた。
レイジは言葉にならない声をあげた後、顔を上げる。
そしてぼんやりしながら体を起こした。
「・・・・・・喉゙が痛゙い゙。」
レイジの声はガラガラになっていた。かなり酷い。
「コタツで寝てるからだろう。ほら、布団行け、布団。」
俺が布団へ誘導すると、レイジはのそのそと布団へ入った。
コタツの中から熱気が漏れてくる。
調べてみると『強』になっていた。
俺はコタツの電源を切る。
いつも強くしすぎないように言っていたのに、まったく。
楽な格好に着替えてから電気を消し、レイジの入っている布団に入る。
さっきまで寝ていたからか、既にレイジの寝息が聞こえてきた。
レイジは体をもぞもぞさせながら、寝ながらも俺の入るスペースを空けてくれた。
しかし顔はいつものように壁のほうを向いていた。レイジは必ず俺に背中を向けるようにして寝る。
子供の頃はこんなんじゃなかったのに。
俺がレイジの家に泊まりに行った時なんかは、布団に入ってからもずっと嬉しそうにはしゃいでいたというのに。
あの頃の面影は一体どこへ・・・・・・と思っていると、レイジが俺の方に寝返りをうった。
仰向けに寝ていた俺の肩にレイジの顔が乗る。口が半開きだった。
顎の下をそっと撫でると、レイジは耳をぴくぴくさせながら小さく笑った。
その様子がなんとなく可愛く思えて、昔の面影云々がどうでもよくなってくる。
肩にかかる重みが段々と心地良く思えた。